どうする日本語 vol.2
- 山根克史

- 2023年6月11日
- 読了時間: 3分
更新日:1月4日
実は、「外頼語」が氾濫した本質的な要因として注目すべきは、そもそも備わっている日本人の言葉の選択と使い方ではないか、と捉えている。良く言えば大らかで、悪く言えばいい加減なところ。つまり、曖昧、優柔不断な性質と無関係ではないはずだ。言動は、余り理論的ではなく、感覚的、情緒的なものに基づいていることに関係しているからではないか。つまり、理論に拠るのではなく、感覚や情緒に動かされて言葉を発するのが日本人。日本語を使う時の感覚は、当然、「外頼語」を使う場合にもそのまま生かされる。「外頼語」の場合は、その本来の意味も使い方さえもしっかり掴んでいないため、そのいい加減さは尚更大きくなる。英語を学んだとは言え、単語の意味を確実に理解しているとは言えない上に、本当の使い方も解っていない。おまけに、使う前に意味を確認することなどない。乏しい単語の知識をもとに、ほぼ何の根拠も無く意味を推測し、耳から入って来ただけの情報を頼りに猿真似し、「外頼語」を使えてしまえるのが日本人である。推測や想像が幾重にも重なって、全くあらぬ方向に意味が一人歩きをしたとしても不思議ではない。また、勝手に英語を短縮する日本人の得意技が加われば、もはや、言葉としての体を成していないのだが「外頼
語」としては縦横無尽に用を足す。実に、不可思議な日本人の言葉の選択と使用である。「赤信号も一緒に渡れば全く怖くない」と同じ感覚なのだろうか。
こうした無責任で優柔不断な日本人の言動が災いし、ここ数年の日本人の「外頼語」の多用濫用(と乱用)振りは目に余るものがある。今や、「外頼語」を一言も口にせず一日を過ごすことなど不可能である。裏返せば、日本語がますます阻害される。そして廃れる。つまり、日本語は崩壊を通り越して消滅に至るのではないか。それでも、日本語の実態を憂いている日本人にお目にかかることは、ほぼ無い。昨今、間違いなく、日本人が漢字を書けなくなって来た。その裡に、読めなくなり、漢字が混ざった日本文の理解がおぼつかなく。引いては、まともに日本語が話せず、書けず、使えなくなる時が来るに違いない。

日本語はあと何年、日本語と呼べる状態を保てるのか。100年、50年、否、せいぜい20年か30年もてば上出来ではないか。すでに現時点でも、日本語と呼びたくはない。実にけしからないことだが、この国の政府までが、率先して「外頼語」だけでなく、英語そのものまで(アルファベット綴りで)使う信じがたい愚行蛮行を平然とやりのける体たらく。あの「GO TOキャンペーン」は典型的な一例だが、まさに、能天気過ぎである。
やがて、日本語に取って代わるのは、日英混成語。つまり、日本語と英語の「ごった煮」。これだけの誇るべき歴史と伝統を備えた独立国の国民が、日英混成語に甘んじてしまう。誇れる日本人の日常語であり標準語がつまらぬ日英混成語に成り果てる。こんな悲惨な日本語の末路が、今ほぼ視野に入って来た。
確かに、言葉は時代と共に変遷する。このことを否定するつもりはない。だが、現在日本語に起きていることは、単なる従来型の変遷ではない。明らかに、「外頼語」と言う名の英語による日本語の侵略である。日本語は駆逐されているのである、それも日本人自身の手によって。どの民族にとっても、母語はその民族の文化であり民族性と一体。日本人には、母語の意義、意味、価値も理解できないのか。無意識、無分別、無節操、無頓着、無造作に、平然と、純日本語を蔑ろしにし、侮り、貶め、弄ぶ日本人。まさに、自己否定をしているようなものだ。
世界中を探して、こんな民族が他に居るのだろうか。愚行蛮行の極みであり、狂気の沙汰としか言いようがない。日本人には、民族の矜持さえ棄ててしまったのだろうか。



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